居合とは、立合に対する言葉で、居合・居相・抜剣・抜刀術・「鞘の中」等とも称されて来ました。敵の不意の攻撃に対して、直ちに居合わせ抜刀し、鞘放れの一瞬に勝負を決める武術として創始されたものです。
抜けば剣道です。
生死を抜刀の一瞬にかける居合道の修業は、生死一如・動静一貫の幽玄な境地に至る心身鍛錬の道であります。
居合の「居」とは体の居る所という意味で、立って「居」る・歩いて「居」る・走って「居」る等の状態を言います。また、無念無想も恐怖も喜怒哀楽も心の「居」であります。すなわち「居」とはその場その時の心身の今ある状況をさしているのです。
「合」とは、打てば響き・呼べば応えるという臨機応変・当意即妙の働きをいいます。居合即ち「居合わす」の意で、行住坐臥・一挙手一投足もゆるがせにしない心の修練が居合の本領であります。いたずらに刀を抜くことだけが居合と心得ることは大きな間違いであって、その技を使う心気を練り上げて、その時その場に居合わすことが修行の目的であります。
新以心流目録に次の如くに説いてます。「居合ということは、太刀を抜くことと心得たる人多し。たしなまざる至極なり、抜かぬ前の平常と相対するを居合と云うなり。」
「己を立てて人に逆らう時は、敵となりて居合も崩れ、抜き放ちて喧か(嘩)となるべし。常に人を立てて己を立てず柔和を第一とすべし。居合の実意を守り、礼儀を正し、人に後れて身を直くすれば居合整い天理に叶い、いよいよ天下和順にて、その徳を備わるなり。また、片時も油断なく、出入起居を慎み、遊山翫(がん)水といえども心を静め用心致し、日夜朝暮心の油断なく心の敵を作らず、己を責めて己に克ち、過を改め勤むることを大事とするなり」と。
また、居合道道歌の一つに「居合とは己が心に克つばかり、人の非を見て人にさからうな」とあります。
千葉県居合道大会プログラム《初めて居合道を見られる方のために》より抜粋